人工知能の発達によって、英語を学ぶ必要がないのでは、という記事をよく見かけるようになった。
今まで、機械の翻訳というと、直訳すぎて使うに使えない(けどちょっと面白い)グーグル翻訳が定番であった。最近では、ディーブラーニングを使った翻訳機能が発達し、機械翻訳の質もぐっと上がった。
今後は、その技術もますます発達していくであろうし、機械が1秒で訳してくれる文章を、長い年月をかけて人間がわざわざ学んでいく必要があるのか、機械にもっと頼ろう、という考えがあっても不思議ではない。
便利なものは使いたいし、1秒で訳す技術と、何度も何度も文法書とにらめっことして2、3年の歳月をかけてやっとたどたどしく習得する発達能力を比較したら・・・そもそも比較するまでもない気もする。
効率性を重んじられるビジネスの場面や、利便性が感謝されるインフラ環境などでは、ますます機械化されてしかるべきだと思う。
一方で、
「機械より早く訳せるか」「機械より社会の役に立つか」
という質問ではなく、
「語学学習は無駄か否か」
という質問に答えるのであれば、
「無駄ではないのではないかな?」と感じる。
専門家の方々によると、機械は言葉の意味の深い解釈や前後の文脈によるところの言葉の解釈、というのを得意としないらしい。
という専門的な見解はさておき。
機械ができないことを補う、という観点よりも、
人間ってそもそもコミュニケーションをしたい生き物ですね。
これまで数カ国の言語を学んでみた経験として、語学を学ぶ時に、一番大事な心持ちというのがあるとしたら、
「シンプルに『この人と話したい』という気持ち」であります。
アメリカ人の友達に思いを伝えたい、フランス人のパートナーに言わなくてはいけないことがある、中国人の同僚に誤解されては困る。
そんな、心からこみ上げる気持ちや切羽詰まった思いが、語学を上達させる。
喧嘩の時に語学が一番上達する、
というのはよく聞く話ですが、私自身も同感。
逆に、「特に伝えたい思いがない」と、なかなか語学も上達しない。
行ったこともなく、友人もいなく、興味が薄い国の言語は、
習得するモチベーションが上がりづらい。
どうでもいいや、って思っている人には何語であってもそもそも極端な話、ぐっと口数が減る。
これからグローバル化がどんどん進んで、外国の人とももっと親密に関わるようになり、友達や同僚など自分の身近な環境に外国人が増えていくと思う。
人間関係の中で、そんな、「伝えたい」という切なる熱い思いが存在するとして、機械を通して美しい翻訳文を提示するだけでは、足りないのでは、と思ったりします。
「伝えたい思い」と、「伝えられたい思い」と、「伝える内容」が個々に存在するとして、
機械は、その「伝える内容」の手助けをしてくれるとは思うけれど、
「伝えたい思い」は、人間が生の声でもって伝える方がより伝わる気がします。
なので、自分の言葉で、自分の声で、外国語を話すことは、きっと人間同士のコミュニケーションにおいて意味のあることなんだろうな、と思います。
今話題のテーマをタイトルに選んで書き勇んでみたものの、
こんな抽象度の高いふわっとした結論になってしまいました。
でも、例えばこの伝え難いもどかしいモヤモヤなんかも、
まさにAIよりも人間が伝えた方が伝わりやすい気持ちの一つなのではないかと
まさに思ったりもしています。
#ふわっとエッセイ
スポンサーリンク