ESSAY

おばさまのあいづち *エッセイ*

日本一時帰国時はよくカフェ巡りをする。日本ではカフェでパソコン作業をするのが楽しい。

カフェに座っていて、いつも感心することがある。

それは、日本のおばさまたちの会話におけるあいづちの打ち方が異常に上手なこと。

「へえ〜」

「それは大変」

「あらまあ」

「そうねえ」

「うんうん」

湧き出る泉のように辞書に載っていないような豊富な種類の異なるあいづちが次々と出てきて、会話の流れによって微妙なニュアンスを自動的に使い分けているように感じる。

会話がどちらに向かっても大丈夫なように微調整されていて、誰にとっても何の問題も起こさないように最初から上手にリスクヘッジされている。

聞いてもらっていると感じている話し手は気持ちよさそうに悦に入り、そこからまたすらすらと会話が流れていく。あいづちが、さらなる会話の束を相手の心からにょろっと引き出したような。

会話はこうやって引き出すのかあ・・・

一方で、相手がちょうどよく話し終えたかなというところで、間髪入れずに

「私もね」

「私なんてこうよ」

と自分の話に持っていく。

その「間」が、とても上手だと思う。

相手が痛みを感じないうちに、でもスコーンと一本取られたように、気づかないうちに話し手が変わっている。

「ねえ、もっと私の話聞いてよ」「あなたは自分の話ばかり」なんて今時の若いカップルのような野暮なことはおばさまは決して言わない。

学校や家庭で習うことはない、あいづち。

これがうまくできるかどうかが、人間関係を左右していると言っていいのではないだろうか。

こんな、会話の潤滑油とも言えるスキルを、一体世のおばさまたちはどのように身につけたのかな、と思う。

人間関係が複雑になってくる社会人生活は、そんな「ソフトスキル」について考えてしまうもの。

なんとなくだけれど、数十年も働き詰めで平日は家に帰らず週末は朝から晩までパジャマで1日テレビを見ている旦那さんや、言うコトを聞かない’時代が違う’子供に内心イライラしまくりながらも、必死に歯を食いしばって、「流す」ということを信条としながら話に聞き入っているふりをしてきたおばさまたちの、プロ級の技に思えてしまう。

きっと、毎日、誰もいない台所でお皿洗いをしながら、

「流す、流す」

と言い聞かせていたのではないのかな、なんて。

一人でいたら、このスキルは身につかない。自分が理解されたいと思う気持ちが強すぎると、このスキルは絶対身につかない気がする。

ふと、日本経済を引っ張って最前線で働いてきた日本のシニア世代の殿方を支えてきたのは、他でもないこのおばさまたちの絶妙な「あいづち」のような気がしてきた。

戦後から、ロボットペットまでの変化の時代を駆け抜けたおばさまたちの、しなやかな柔軟性が垣間見えるように思えた。生き様と言っていいかもしれない。

この「あいづち」は、人工知能に真似できるのかなあ、と、一人カチャカチャとパソコンに向かいながら思う、けふこの頃です。

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