日本では、他人に対して堂々と「変わってるね〜」と言うことがあるようで、最近何度か立て続けに耳にする機会がありました。
変わってるかな?・・
strange・・?
bizarre・・・?
と真面目に悩むこと数分、単語が頭の中でおしくらまんじゅうしたあと、 その場では「いやそんなこともないだろう」とすぐ頭からかき消したものの、うっすら残るもやもや感。
・・少し調べてみました。
日本語は日本文化の中で使われる言語なので、日本文化に存在する独特な感性の中で使われる言葉や意味合いもたくさんあります。
昔は、相手のことを面白おかしく、さらには愛情を込めてツッコミをする際に
「バカじゃない〜!」「アホか」
なんていう言い方もしていたようですが、時代の流れの中で徐々に消えて行きました。
「変わっているね」という言い回しもまだ生き残り種ではあるけれど、グローバル化や多種多様なバックグラウンドを持つ人が日本語を使うようになり、そのうち消えていく言い回しの一つなのかもしれません・・・
なにせ、違和感がハンパない。
「変わっているね」と言われて、
真面目に言葉通り受け止めてしまったら
変わっているかな?どこが?
っていうか何基準?誰基準?
ナニそれ、悲しいお知らせ?
という質問のオンパレードになってしまいます。
そうなりそうになった自分を抑え、「これは単なる言葉のアヤ」と思いながら、でもきっと海外で育った日本人や海外歴が長い人、外国語として日本語を勉強している人には、あんまりスッと入っていかない言い回しなのでは、と思ったのです。
日本語は、ハイコンテクスト文化の中で生まれた言葉で、意味がわかりづらいけれどみんなが似たような文脈で使っている言葉がたくさんあります。
ハイコンテクスト文化とは、コンテクストの共有性が高い文化、つまり同じようなバッググラウンドや歴史を持ち、類似した価値基準を持っていたり、言葉でいちいち説明しなくても通じ合える環境のことです。
そうすると、
「変わってるね」の意味するところは、
「私より変わってるね」とか「奇妙な人ね」
という意味ではなく、
「ハイコンテクスト文化で処理不能な部類ですね」
という感じかもしれない。
(もっとわかりづらいですが・・・涙)
でも、”strange!”なんて脳内で英語翻訳してしまったら、真面目に変だと思われている感もでるし、なんとなく昨今の「多様性の受容」的観点からいうと、使いづらい言葉になってきてはいると思います。
・・・ところで。
これに関して朗報ですが、変人は成功する可能性も高いそうです。
『ストーリーとしての競争戦略』という本では、企業戦略においてより奇抜なアイディアを出して遂行した人・企業が成功するという現象について述べています。
この本では、スターバックスの事案について述べていますが、「誰にも真似できないちょっと変わった案」を持っていることは強みだと言っています。
この本についてサラタメさんという方がわかりやすくYoutubeにまとめていましたのでお借りしました↓
「変わっている」ことは、良いことらしいです。
短所は長所と表裏一体ですしね。
ひょんなことからお勉強になり感謝です。
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