ESSAY

恥ずかしいという感覚。*エッセイ*

恥ずかしいという言葉は、国によって感覚も意味もだいぶ異なって使われているように思えます。

そんなこと言ったら、「怒ってる」とか「子供っぽい」とか「愛してる」という意味も、国によってだいぶ使い方や意味合いが違う、というのはあるけれど、「恥ずかしい」というのは例えば「愛している」なんかよりももっと日常の中で使われる感覚なので、考える機会も当然多くなります。

日本では、「恥ずかしい」という言葉を使うのは、本当に照れてしまうような恥かしさや「恥ずべきこと」という風に、道義上あってはならない状態を表す時に使われたりします。

アメリカやイギリスでも、”embarrassing”や”awkward”などのように、日本ほどではないにしろ、「ちょっと気まづい感じ」を表現する機会も多くあり、共感できる要素もたくさんあります。

マナーや外見を気にすることが多いフランス人の友人もよく顔を赤らめたりして恥ずかしいと自らが感じることを論じていることがあります。

ドイツでは、そういうちょっとした気まずさや恥かしさが、他国より少ないかもしれません。自由度が高い、という表現があっているのかわかりませんが、法律に書いてない部分の「見えないルール」が少ないという感じでしょうか。

もちろんドイツにはドイツなりの気まずさや照れはあるのですが、他国のそれと比べて、という意味です。

日本では大勢の人の前で鼻をかむ行為を恥ずかしく感じるのでトイレに行ったりしますが、ドイツでは、鼻を噛まずにグズグズしている方が気持ち悪いと思われるのでその場ですぐ噛みなさい、と言われます。日本人にとって皆の前で鼻をかむのは恥ずかしいという気持ちですが、ドイツ人にとって鼻を噛むことは恥ずかしいことでもなんでもなく、むしろ噛まないでいることは、ほぼ悪、の部類です。

または、例えば大勢の生徒がいるクラスでくしゃみをするとします。日本だとみんなに変な音が聞こえてしまって恥ずかしく感じますが、ドイツでくしゃみをしたとしたら、どこからともなく、くしゃみをしのぐ大声で ”Gesundheit!(お大事に!)”と聞こえてきます。くしゃみは、恥ずかしいことではないのです。

そんな時に、一人でクネクネ恥かしそうにしてたら、怪訝な顔をされたり、”Es ist doch nicht schlimm!”(悪いことじゃないじゃない!)なんてどーんと背中を押される雰囲気があります。

つまり、悪いことではないことは、恥ずかしく感じる必要もなく、堂々と胸を張っていれば良いのだ、という考え方です。

「恥かしさ」を社会生活を送る上で行動を決める大事な判断基準にしている日本をはじめとする外国人にとって、「悪いことではない」と思え、堂々としていられるというのは大きな勇気であります。

こんな風に、ドイツにいると、恥と言う概念が「良い」か「悪い」かにtranslateされる感覚があります。

長く住んでいると、”恥を感じる人なんて遅れてる〜!”なんて感じで捉えて始めてしまうこともあるようです。

でも最近よく思うのが、恥かしさって年齢とともに結構薄れていくよなあ。。と言うこと。

気をつけていないと、年をとるごとにいろんなことが恥ずかしくなくなり、色んなことを人前でやってのけてしまうようになったりするのでは、と思ったりします。

「品格」が「恥を感じる気持ち」と少しでもつながっているのだとしたら、やはり消し去ってはいけない感覚なのだなあ、という感じもしたりします。

でもやっぱり鼻はすぐかもう。

#ふわっとエッセイ

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