先日ドイツでタクシーに乗った。
ドイツでは、ちょっとくらいバス停が離れていようとも、電車が遅れてこようとも、公共機関に乗って行動するのが当然という人が多く、タクシーに乗るなんて贅沢だと思われる空気がある。友人と話していても、どんなに夜遅かろうとも、「え、まさか、この距離でタクシーなんて乗らないわよね?10分歩けばバス停あるじゃない」というトーンでタクシーが語られることも多々ある。
でもそのやっと10分歩いて着いたバス停で時刻を確認すると、さらにバスが来るまで15分待ちなんてことも。そして私、昼間の天気に合わせた薄着の為、夜はほぼ気温がガクッと下がった寒さに震えながら、暗い中待ち続けることになる。年齢とともに厳しさを増すこの苦行。
自分としても無駄な出費は控えたいので、公共機関や自分の車で移動することがほとんどで、積極的にタクシーを使おうとは思っていない。
ただ、シンガポールや香港などのアジア圏のタクシーの利便性に慣れてしまっている私は、ドイツにずっといる友人より少しだけ「タ」という単語が出てきてしまうことが多い気がする。
そんな中、友人と街中のクナイペ(居酒屋)のディナーで盛り上がった晩、気づけば夜11時。こんな中帰るのは少し怖いなあ、と思い、「タクシーで帰ろうかな」と言ってみた。
「タクシー?地下鉄があそこにあるから地下鉄がいいわよ。」と10分歩こうとすすめられる。友人も同じ方向に歩いてくれたものの、友人の家はそこから徒歩5分。彼女はもう家につくではないか。
残りの距離は私一人で地下鉄まで歩くことになった。タクシーいないかなあと周りを見回したものの、出会うことはできず、薄暗い地下鉄に一応入ってみる。時刻表を見ると、10分後に別方面行きの電車が来て、20分後に自分の行きたい方面行きの電車が来る。
20分あれば、タクシーでホテルに着くではないか。
それに、暗くて怖いし。
本当はあまり怖くないけれど、「怖い」と思うと、一番もっともな理由になる気がして、しきりに怖い怖いと思おうとしている自分もいたりする。
寒い中、待つの大変だよね。薄暗いし。
体冷やすの健康に良くないよね。
色んな理由も同時に頭の中に次から次へと湧き出てきて、タクシー乗車を応援してくれる。
自己を正当化する作業というのは脳をアクティブにするのかもしれない。
結局、誘惑に負けて、たまたま通りかかってくれたタクシーに乗ることにした。
タクシーに乗って行き先を告げると、行き先はわかりますと言って発進してくれた。
ドイツのタクシーはわりと信頼できると個人的には思っている。
しばらく走ると、年老いた運転手さんが「日本から来たの?」と話しかけてきた。ヘッセン訛りとおじいさん特有のダミ声で少々聞き取りづらくはある。
ドイツのタクシーの運転手さんは、よく話しかけてくる。そして質問するとよくしゃべる。ドイツ語をブラッシュアップには丁度いい練習相手でもある。
「そうですね」と明るいトーンで答えてみる。疲れていたので、本当は静かに黙って乗ったまま帰りたかったけれど、まだ夜はこれからと言わんばかりの運転手さんの有り余ったパワーを感じて、お話に参加しよう、と腹をくくった。
運転手さんは、以前日本に行ったことがあって日本文化を実はよく知っているんだと語り始めた。
聞くと、以前はコンサルに勤めていて、出張で10日間だけ行ったことがあり、日本とのビジネスをしたことを誇りに思っているという。
数十年にも及ぶだろう会社員人生の、たった10日間の出張をまだ覚えているのかあ。すごいなあ、よっぽど印象的だったんだろうなあ。でも逆に、それ以外で日本との関わりが皆無だったから記憶しているのだったりして?と余計な邪推も入りつつ、話を聞く。
「日本文化と折り合いはつきましたか?」という私のふわっとした質問には、「日本企業の意思決定プロセスが、ヨーロッパとは大分異なるから戸惑ったよ」と言っていた。意思決定プロセスの各国の相違についてはよく聞くテーマではある。
そんなこんなで、ビジネスカルチャーの違いを話していたら、
運転手さんが、「まだ日本の女性はお茶を買っているの? “Tee kaufen?”」と聞いてきた。
ふむ、何のことだろう、と思って、
「何のお茶です?」と聞き返すと、
笑いながら「違う違う、ああ、ごめんなさい」と言って言い直してくれた。
おじいさんのダミ声に対抗できず聞き間違えたらしく、本当は
「日本の女性はまだお茶を入れているのか?」”Tee kochen?”
と聞いていたらしい。
本来ならば、”Tee kochen”とはお茶葉に熱いお湯をかけてお茶を入れることだけれども、ここでの「日本人女性がいまだにお茶を入れている」とは、日本のお茶汲みレディーのことである。
まだ女性はオフィスで男性のためにお茶をくんであげたりしているの?という男尊女卑の話をしたかったらしい。
ビジネスカルチャーについて話していたのだから、それはそうだ。突然色んな種類の紅茶を買うのが趣味の女性の話などをするわけがない。
と、自分の想像力に心の中でひそかにダメ出ししながら、
「どうかしら。今は若い男性が女性にお茶を入れてくれているのでは?」
と返信している自分がいた。
「そりゃいいね」と大笑いしている運転手さん。
でも、言ってみて、なんか違うよなあ、と据わりの悪いこの感じ。
なんか、ビジネスロケーションのテーマから突然、デートロケーションの話に勝手にすり変えてしまった気がしたのだ。
・・・真夜中の、このテキトーさ。
もちろん、質問に真面目に答えるとすると、実際には、自分の知っていることに限度があるので、 統計を持ち出して超正確なデータをお答えするなんて不可能だし、日本に住んでいないので、自信を持って語れる実体験もない。こういうとき「私の友人はね〜」と友人の体験を語るのも一つの手だが、残念ながら持ちネタがなかった。
でも、こんな場面に遭遇したときに、一番に気をつけたいのが、
自分がどう答えるかでその人の日本への印象が変わってしまうということ。
日本のことを、ポジティブに答えるかネガティブに答えるかは、個人の経験や見解によるところが多いけれど、それが少なからず外から見た日本のイメージに影響してしまうと考えると、やはりなるべくミクロの個人的な話よりも、多少ふわっとしていてつかみどころがない話に聞こえても、マクロの見解を述べていた方が、「日本のイメージ作り」というコンセプトにより近い気がしてしまう。
もちろん自分を「個」としてみてくれている近しい友人や気の置けない友人には、より個人的な体験の話をしたりして何気ない会話を楽しむけれど、この運転手さんは、きっと私を「日本人」というカテゴリーで見ているだろうから。
つまりは、
運転手さんが見た日本のお茶汲みの時代からは、物理的な時間も経ち、様々な時代の変化があり、以前あった風習も運転手さんが思っているほどの濃さではなくなり、以前からは変わっていると思うよ、と伝えたかったのである。
でも、二度と会わないかもしれないタクシーの運転手さんだし、今は夜中の12時だし、ほろ酔いだし、まあ「時代は変わったよ」という大テーマはこの短時間で伝えられたと思うから、今回はこんな感じでよしとしよう、
と眠りについたのでした。